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zoom RSS 懐かしの名曲選 その20 「涙が微笑みにかわるまで」美岐陽子

<<   作成日時 : 2010/12/13 22:44   >>

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札幌から釧路へ、転勤になったのは、
札幌オリンピックのあった1972年の9月1日付け。
まだ、東京育ちが入社して札幌人になって1年5ヶ月目。

離れの部屋をお借りしてお世話になっていた大家さんのお家の電話が入った。
ちょうど2週間前の8月16日だったとおもう。
泊まり勤務明けで、一人部屋でゴロット寝ていたが、大家さんの居間のテレビは
高校野球をやっていたなあと思い出す。

遠藤清美アナウンス室長の、乾いた声で、
「先ほど、鮫島君に辞令が出ました。
9月1日付けで、鮫島くんには釧路放送局へ行っていただきます。
ほかに、アナウンス室からは、横田くんが帯広放送局、
足立くんが函館放送局です。以上」

HBCの新人アナウンサーは、
入社後2,3年以内に必ず北海道の各地方都市へ行くというのが
恒例で、これは、男女等しく転勤があった。
30数人の大所帯のアナウンサー室だが、
ローカルの函館、帯広、釧路、旭川の4局は男女ペアでアナウンサーがおり
ほかに、室蘭、北見に局舎があった。
入社志望の受験者たちは、当然それを前提に受験しており
皆よく分かっている転勤話だったのだ。

1年5ヶ月の札幌の日々は、まだ仮住まい感覚があったので、
あまり家財道具も買わないでいた。

地方勤務か、これで一歩前進だなと
むしろ、釧路行きは、楽しみに思った。
一方、1年半あまりとはいえ
ようやく仲良くなった友人知人や
培ったお店、スポンサー筋のネットワークも
これでしばらくきれてしまうなあということもちょっと残念だった。

それと、釧路へ行く先輩アナウンサーたちは
皆、本社へ戻ってこないで、
辞めて他局へ行ったり
東京へ戻ってしまう人が続いているとも言われていた。
それは、さすがにちょっと気になった。

まさか、自分までもが、釧路を最後に
東京へ戻ってしまうとはもちろんこのときは
夢にも思わなかったが。

その後といえば、
横田久君は、同期のアナウンサー。
足立君というのは、足立利道さんで、1期先輩のアナウンサー。

横田君は、実は2007年8月31日にガンで58歳の若さで
定年前の現役のまま逝去。
アナウンスから、業務局長などになっていたが、
同期14人の中で、3月生まれの男性では一番若かったのに早世。
スポーツアナウンサーを目指し、
北海道のウインタースポーツのジャンプ競技の中継で、
活躍した。
研究熱心で入念な取材をして番組にのぞみ、
ジャンプ選手陣からの信頼が厚かったという。

足立利道さんはアダッチャンと呼ばれる人気アナウンサーだった。
「オールナイト北海道」という深夜放送のDJや、
当時珍しいブリティッシュロックなども番組で紹介し、根強いファンがいた。
当時のアメリカの音楽情報を豊富な人脈と知識で
東京から仕入れては、いち早く番組で紹介していた。
今でもダンボール箱に大事におさまっている
ミッシェル;ポルナレフのLPは、
彼がレコード会社から自分は沢山もらっているからと
新しいテスト盤を気前よく、くれたものの一枚だ。

滑舌なめらかな東京風の歯切れ良いしゃべりは
ニュースの読みも判りやすく、
僕の敬愛する先輩アナウンサーだった。
函館に3年ほどいて、アナウンス室へ復帰、
ほどなくラジオ制作へ移動
最後は人事部だったと記憶している。
HBCには少ない、元気で明るく、ちょっと強気、
それが華やかで、まぶしいアナウンサーで
もっと永く活躍できる方だったはず。、
器用さが、かえって仇になってしまったのかなあ。
40代を待たずに一線を退かれて惜しいなあと思ったものだ。

さて辞令を受けて
9月7日に、盛大な見送りを受けて
札幌駅から道東の釧路へと向かった。
夕焼けの美しい季節で、
起伏に富んだ町並み、
小高い丘がいくつもあり展望台からの眺めは格別だった。
釧路市は、南は太平洋、
背後に釧路湿原で、雄大な自然にかこまれていた。
そんな風景を、夕日の沈む頃長めていると
自然に対比する人間の悩みなんて
小さいものだなと、センチになるどころか
力がうまれてくるような感激で、
人生観の学びでもあった。

そして、釧路放送局の方々が、
竹村局長はじめ皆さんが、
新人にちょっと毛の生えた程度だった僕を
暖かくしっかりと受け止めてくれたのだった。


「涙が微笑みにかわるまで」
この曲は、フランスのフランソワーズ・アルディが歌っていた
「さよならを教えて」が源曲。
美岐陽子が日本語で、いい感じに歌って1972年春にリリースされている。
F・アルディの原曲が、むしろあとから、
知られるようになったほど。

美岐陽子の声質でこの旋律を聞くと、
当時釧路の郊外にあった十条ショッピングセンターという
大型小売店舗のハシリだった店を思い出す。
寝具売り場に、ものすごいきれいな女性がいた。

その人の売り場の近くで、
毎週末の昼休み時、ラジオ番組をナマ中継で受け持っていた。
ドキドキして、放送中にそちらを密かにみたりして
チラッと目が合うと、どうにも落ち着かない気になったものだ。

その人はどうなったって?
ほんとにその後、どうしたんだろう。
その頃二十歳くらいだっただろうなあ。
懐かしい。

もう一曲この曲に、よく似ているというより
こりゃパクリだよとおもわせるほどの曲想メロディのそっくりな
小川知子の「若草の頃」
ただし、この曲の詩は素敵。

並べてきいてみようかな。

「涙が微笑みにかわるまで」
唄 美岐陽子





「若草の頃」
唄 小川知子




フランソワーズ・アルディは
ここから
http://www.youtube.com/watch?v=nkmSdP7WmMc  

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