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zoom RSS 夕刻、懐かしい発信通知番号から電話があった。

<<   作成日時 : 2013/02/28 23:08   >>

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夕刻、懐かしい発信通知番号から電話があった。

大学1年生の時に出逢った、当時向こうは中学2年生だった女性からの電話!
彼女は高校を出るとそのままドイツへフルートを学びに留学し、帰国しないまま
現地でドイツ人と結婚、
しかし毎年一回は日本の実家に帰って来ているということだった。
電話の主は、87歳になるという彼女の母君からだった。
おや、何のお話かなといぶかしく受話器に耳をそばだてると、

「あの、お知らせをしなくてはと思いながら今日になってしまいましたが、
昨年9月にH子が、ドイツで亡くなりましたのよ、
もしお知らせが行ってなかったら…」

初めて会った時、彼女は13歳、僕は19歳
共通の母校である付属中学校が、当時軽井沢に寮があり
夏の林間学校行事として1週間ほどの合宿生活を毎年企画していた。

母校先輩の一人として先生方のサポートで付き添いを仰せつかったのが
大学生だった僕ら年代。

東京からの貸し切りバスから降りたって、たくさんの後輩生徒の中に、
薄いグル―の帽子をかぶった少女を発見したその時、
僕の胸はいきなり高鳴ってしまったのだった。

その後の丸4年、ドイツへ留学するまで、
僕自身も社会人となる直前まで、この5歳年下のガールフレンドと、
プラトニックな青春のひと時を過ごした。

双方の実家も何回か行きかい、
お母様とも文学や音楽のお話がいろいろと出来る関係だった。

フルートとピアノで共演したり、
彼女のイメージで軽井沢の思い出を友人が詩に書いてくれて
「きみの姿 ぼくの姿」という唱歌風の歌に作曲し仕上げたりした。

彼女の高校入試時は、試験前日に英語のチェックをしてと
家庭教師役も務めた。

吉永小百合に似ていると父が言うんだけどやんなっちゃうと、
口を尖がらせ、はにかんでいたが、
確かに当時そっくりな面差しだった。

きりっと正面から見つめられる一瞬が、こちらは切なかった。

彼女はやがてドイツへ、同じ年、僕は北海道札幌の放送局へ入社し、
もう顔を合わせる機会はめったになかった。

そんな中でも、何年かに一度、気まぐれのように誕生日メッセージとともに

「今、日本なの」

と、電話があったりした、

「じゃー何とか帰京するからね」

と札幌から羽田へ。
空港からそのまま彼女の経堂の実家へ直行し、懐かしい瞳を確かめる時を持ったこともあった。

その後僕は、北海道を離れ、会社を変わり東京へもどり、大阪に転勤していたとき、
上京して経堂の彼女実家を訪れた。
外で食事でもと迎えに行ったのだが、玄関先に5歳くらいの男の子が現れ
ジュニアとご対面という一幕もあった。

そのときの僕は、まだ独身だったが、
ちょうど結婚を決めた女性が出来たときで、

「多分この人と結婚するよ」

と彼女に告げた。

それからまた10年ほどが経ち、僕は会社を早期退職し、
何度か電話で話をすることもあった。
当時、フリーアナウンサーの仕事を始め、やっと自由な生活をしはじめた。

「あなたのブログを、ドイツでも見ているから、あなたの近況は知っているわよ」

というような会話を電話で交していた。

数年前、僕らに共通の中学の担任の先生の、
「傘寿と出版を祝う記念パーティ」があったとき、何も知らずに福岡から参加したその会に、
彼女がドイツからもどっていて衆人の仲間の中でのサプライズ再会だった。

「おどろいたなあ。戻っていたの?元気そうだね。昔のままかわらない」
「あなたも‥。ねえ、びっくりした?驚かせたたかったのよ」
「僕もあれから結婚したんだ、あのとき会ってからもう15,6年なんだね」

ほんの十数秒ほどの会話だった。

このときの2009年の初夏が
最後だったと今になって思うのだ。

5年どころかもうはるか昔のことのように錯覚する。

もっと話し、聞いておきたかったこともあるのに、もう2度と確認することは不可能だ。


お母様によると、享年60歳と3週間。
長く患っていた病気で、しかし最後まで延命策はとらず
肺不全で、9月28日早朝に亡くなったそうだ。
お母様は月命日の今日2月28日、僕に連絡をくれた。

9月7日は彼女は誕生日だったが亡くなったのも9月だったのだ。

「Try To Remember・思い出の9月」という
ブラザースフォアのフォークソングがある。

今後新たな思いで、このメロディが胸にしみてきそうな気持ちがする。

合掌。


;:;:;:;:
以下は昔自作自演でUPしたことがあるのだが
再録する。


大学1年の夏、母校の中学に当時軽井沢に山荘があった。
夏季林間学校の先生のアシスタントで付き添ったとき、
14歳のある少女が素敵だった。そのとき、一緒のアシスタントをつとめた
今世田谷の女子大の教授になっている
田中康善くんが作詞をし、
僕が作曲した、「唱歌風」の曲。

このときのことは、楽天ブログでもほんの少し触れている。
http://plaza.rakuten.co.jp/musameji/diary/200807290000/


「きみの姿、ぼくの姿」(1966年8月5日作)





”夏の想い出は今も胸に残る
鶯の声に明けた朝
小さな釣竿とバケツを抱えた
きみの姿、ぼくの姿

汗をかきながらあえぎあえぎ登る
山の頂にそよぐ涼風
緑のくさはらにつどう仲間
きみの姿、ぼくの姿

蛍のともしびをもとめながら歩く
川のせせらぎに弾む心
夕暮れの中に肩をよせあう
きみの姿、ぼくの姿

語り合った話はつきねども
心の中に芽生えた友情
いついつまでも覚えていよう
きみの姿、ぼくの姿”


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